HOME > お奨めの本 > ぼくの命は言葉とともにある

お奨めの本

ぼくの命は言葉とともにある

2016年6月8日

存じ上げなかったことが申し訳ないと思わせるすごい人がいる!

全盲ろうにして世界初の大学教授になった福島智先生のことです。

福島智先生著「ぼくの命は言葉とともにある」を読んで、

先生が逆境にもかかわらずどうして「意味があるからこそ生きられる」

という強い人生観を持っておられるのか!?

是非多くの人に知ってもらいたく思い、先生の言葉を紹介します。

著者は3歳で右目、9歳で左目を失明。14歳で右耳、18歳で左耳の聴力を失う。

目が見えず耳が聞こえない状態を「盲ろう」といいます。

現在、日本だけで約二万人の盲ろう者がいると推計されています。生まれつきの人もいますが、著者の場合は、障害は徐々に進んでいきました。

 

〈世界から消えていった光と音〉

「光」が認識につながり、「音」が感情につながるとすれば、「言葉」は魂と結びつく働きをするのだと思う。

 

私が幽閉された「暗黒の真空」から私を解放してくれたものが「言葉」であり、私の魂に命を吹き込んでくれたものも「言葉」だった。

 

〈コミュニケーションの喪失 絶望と希望の狭間で揺れ動く〉

 

「さ と し わ か る か」母は私の指を点字ライターのキーにみたてて、そう伝えたのです。

私はたまたますぐに読めましたので、答えました「ああわかるで!」

 

このコミュニケーション方法を私と母は「指点字」と名付けました。

のちに、この方法は少なくとも広く公にされたものとしては、

世界で初めて私が用い始めた新しいコミュニケーション方法だという事がわかりました。

 

盲ろうの世界は宇宙空間に一人だけ漂っているような状態。その真空

に浮かんだ 私をつなぎ止め、確かに存在していると実感させてくれるの

が他者の存在であり、他者とのコミュニケーションです。

 

他者とのかかわりが自分の存在を確かめる唯一の方法だ、ということです。

51LZfANKWgL__AC_US160_

 

 

コミュニケーションこそが人間の魂を支える〉

今の社会の中ではコミュニケーションの重要性が正当に評価されていない部分があります。

 

障がい者の視点で考えたとき、トイレや風呂、食事といった日常生活活動いわゆる

 

「生物学的生存」も重要ですが「文化的な意味での生存」が支えられないといけない。

例えば他者とのコミュニケーションであり、移動・外出の自由の保障だと考えます。
〈コミュニケーションによる他者の認識が自己存在の実感につながる〉

他者とのコミュニケーションによって人間は初めて他者の存在を知り、他者の存在を実感します。

 

他者の存在が実感できることによって、初めて私たちは自己の存在をも実感できるのではないかと思われる。

〈幸福の土台は希望と交わり〉

 

人は苦悩の中で希望を抱くことで、生きる意味を見いだせる。

 

人は交わりを伴ったコミュニケーションを行うことで、他者との関係性を生み出し、それによって生きている実感を持てるようになる。

 

〈盲ろうとなった自分に生きる意味はあるのか〉

 

人は無意味には死なないし、死のうとも思いません。

 

無意味に死ぬことを積極的に求める人は一人もいないはずです。

 

おそらく自殺する人であっても、その人なりの何かしらの意味を見出したのでしょう。

 

死であっても意味が必要なのですから、生きるうえでは絶対に意味が欠かせません。

 

また、生きる意味を見いだせれば、生きるという行為は間違いなむ輝くはずです。

 

〈意味があるからこそ生きられる〉

 

「絶望=苦悩ー意味」。つまり、絶望とは意味なき苦悩である。

 

感動の1冊、是非一読を!

ページの先頭へ